宗三左文字の話、Webで検索した程度だと根拠が分からず悩んでいます。Wikipediaにも独立したページがあるものの出典なし…。
信虎が娘の今川義元への輿入れに際して持たせたという話が多数ありますが、「戦国阿波おもしろ百話」という本には江口の戦いで討ち死にするまでは政長が持っていて、これを当時大坂にいた信虎が手に入れたという話があるようです。
Wikipedia「三好政長」には、出典元が色々挙げられているものの、内容はただ「元々は政長(宗三)の所有物だった」とあるのみ。
というか、出典元の一つとしている『戦国三好一族』の該当ページ読んでも、榎並城と江口城の戦いと政長の最期だけで、左文字のことなんて書いてないし。
・政長は永正5年(1508)生まれ、晴元の元で抬頭するのは享禄4年(1531)の大物崩れ以後、天文初期年間
・義元へ輿入れした天文6年(1537)2月に手放したのであれば、政長はまだ「宗三」とは名乗っていない
・天文18年(1549)6月の江口の戦いより後に手に入れたのであれば、義元への輿入れで贈ったということはありえない
・近江六角氏の元へ逃れていた将軍義晴が細川晴元と和睦したのは、享禄5年(1532)6月に三好元長が敗死し足利義維が淡路へ逃れた後、天文3年頃?
・武田氏が将軍義晴から偏諱を賜ったのが天文5年(1536)3月、今川義元の斡旋で三条公頼の娘を正室に迎えたのが同年7月。なお細川晴元の正室も三条公頼の娘。義晴・晴元政権への接近はこの辺り?
左文字は信長を祀る京都の建勲神社に奉納されているとのことで、船岡山と合わせて訪問したいです。神社だったら社務所で何か聞けるかな。
