常光寺の特別展示では、常光寺が所蔵する禁制や書状類が展示されていました。
八尾の戦いで長宗我部盛親率いる大坂方の軍勢と交戦した藤堂軍が首実検を行ったといわれる床板が「血天井」として有名ですが、400年も経ってるしよく分かりませんでした。
常光寺は幕府の外交僧として有名な以心崇伝が、同じく河内の真観寺とともに住持を兼職したという南禅寺派の寺院で、そのような関係から藤堂家と徳川家を繋ぐ役割も担っていたようです。
藤堂高虎と八尾の戦いで戦死した重臣六人の位牌もあり、藤堂家による法要が定期的に行われています。(なお藤堂家と大坂の陣戦死者達の位牌は石川五右衛門の「絶景かな」で有名な南禅寺の山門にもあるそうです)
撮影禁止なので写真はこちらで→ http://jyokouji.com/about/sensi.php
で、七十一士の墓


六人の重臣の墓は特別大きい扱いを受けています。
真ん中が藤堂仁右衛門高刑で、関ヶ原で大谷刑部の首の在処を秘密にするとの湯浅五助との約束を固く守ったという逸話で有名な人物。
右端が桑名弥次兵衛一孝で、元は長宗我部氏でも筆頭に挙げられるほどの勇将でしたが、関ヶ原の合戦後に牢人して藤堂家に仕えたものの、旧主と戦うことになって自刃したと伝わります。
Wikipediaを見たところ藤堂仁右衛門の烏帽子親は増田長盛だそうで、とすると相手の大将長宗我部盛親も同じ烏帽子親、その縁で長盛の子・盛次も八尾の戦いで長宗我部軍に加わってますし、なんとも痛ましい戦いだったんですねえ。

百五十回忌の際に藤堂家によって建てられたという「勢伊死事碑」には仁右衛門七世孫、新七郎五世孫、玄蕃七世孫の方々の記名がありました。

ガイドの方から聞いた話では、どういう経緯か今では不明ながらこの樟から先は国有地になっていて、墓石の損傷が激しいものの勝手に補修もできない状態だそうです。
