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ホリィ(新人)のことを語る

昨日、中央図書館で借りてきた1冊
中村陽 監修『イチから知りたい日本の神さま2 稲荷大神 お稲荷さんの起源と信仰のすべて』(戎光祥出版)

お塚が建てられるようになったのは、七神蹟が定められた明治以後のことで、昭和初めには約2500基、昭和41年には7762基にまで増えているそうです。つまり、稲荷信仰1300年の歴史では割と最近のことだという。
稲荷大社の神道が神仏分離政策の影響を受けたのに対して、このお塚信仰を「庶民による自然神信仰の再生」として、稲荷山全体が二重三重の信仰構造を持つことを象徴するとの説明が面白いです。

本来農耕神であった稲荷神が、平安時代に密教と習合して、白狐に跨り如意宝珠と稲穂を持った老人姿の稲荷神と弘法大師の出会いが縁起として伝承され、神仏習合の時代には蛇を眷属とする宇賀弁才天、狐を眷属とする荼枳尼天と習合して白狐に跨り白蛇と狐を頭上に戴く女神の姿として描かれるようになり、やがて大黒天や毘沙門天をも取り込んだ「稲荷曼荼羅」が描かれたとか。
白狐に跨った荼枳尼天に聖天と弁財天が合体した三面十二臂の「三天和合尊」はかつての伏見稲荷本願所、愛染寺の本尊といわれ、また「稲荷曼荼羅図」は今も伏見稲荷大社が所蔵しているそうです。

また、14世紀の『稲荷記』には東の峰は大威徳・天照大神・吒枳尼天、南の峰には降三世・丹生明神・訶梨帝母、西の峰には愛染・弁財天、北の峰には不動・三大神、中の峰には稲荷神・阿弥陀・辰孤王と記されているそうで、まさに中世の稲荷山は多様な信仰を取り込んだ曼荼羅世界を構築していたわけで。
それが現代ではお塚信仰や、麓に集まる様々な宗教施設に形を変えていると捉えることもできそうです。