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ホリィ(新人)のことを語る

黒田家前史研究 要点十五箇条
http://www.geocities.jp/kurodazensi/200.html

「播磨黒田氏研究会」の内容、まだざっとかいつまんで読んだだけですが、播磨の史料を検討した結果、播磨出自説としてよく使われる荘厳寺本「黒田家略系図」に記された系譜が正当なものであるという話のようです。
つまり、官兵衛は「祖父」とされる黒田重隆の実子であり、「父」とされる小寺職隆の婿として猶子になったというわけです。

これ、一つ思い当たることがあって、姫路の播磨国総社(射楯兵主神社)に残された禁制に、「天正十二年八月吉日 小寺宗圓(花押) 水野與八郎(花押) 鯰江相模(花押)」というものがあったんです。
この小寺宗圓って誰のことなのか疑問に思ってたんですが…宗圓って官兵衛の父とされている黒田職隆の号なんですね。
天正12年といえば、もうとっくに小寺氏は没落しているはずで、官兵衛も小寺から黒田に復姓しているはずなのに、その父がこの名乗りは変でしょう。

そして、ここには衝撃的なことが書かれています。

播磨黒田氏とその系譜 6
http://www.geocities.jp/kurodazensi/326.html

  • 播磨の伝承では、小寺職隆は小寺加賀守則職の嫡子であり、長子ともいう。赤松惣領家から姫路目代に任ぜられた小寺氏本家は、姫路城を預かる。だから、政職ではなく、職隆が姫路城主なのである。御着は分家であり、『播磨鑑』に《御著城ハ姫路ノ枝城》とある通りである。
  • 職隆が代々姫路城主を継いだ小寺氏本家の人間だとすると、「黒田官兵衛」として秀吉の元で活躍する一方で、父とされる職隆が「小寺宗圓」を名乗ることも何らおかしくないわけで…うーむ。