大門先生の『黒田官兵衛 作られた軍師像』では近江伊香郡黒田村説と播磨多可郡黒田庄説の双方を一次史料から検討されています。
大門先生は『黒田家譜』全体に誇張の多い記述や、『江源武鑑』からの影響を問題視されてはいますが、播磨説の根拠とされる「荘厳寺本 黒田家略系図」についても、記載されている人物の実在が一次史料からは明らかでないこと、職隆が永禄元年に記名している算用状の端裏書に「黒田殿」と記されていることから、元々黒田家の人間で政職から小寺姓を賜ったことは確実としてます。
だったら天正12年「小寺宗圓」はなんでーって感じですが
とりあえず、この「黒田家前史研究 要点十五箇条」を論破できるかどうか考えながら再読してみようと思います。
