今『中国兵乱記』の方もぱらぱらと読み進めてますが、なかなかツッコミどころが多くて面白いです。
槇島で敗れた足利義昭は若江城に落ちた後、毛利家を頼って難波から船で鞆の津に着いたとしてますが、これを出迎えた小早川隆景は涙を流しながらこんなことを言ってます。
「昨日まで頼みとしていた織田信長が今日は敵となり、尼子氏一族を近年討手に下された。毛利家は今日よりお味方と頼りに思召され、これまでご下向くださったのは当家の名誉であり、代々の御恩に報いるために忠節を尽くしたい」
作者の中島元行は清水宗治とともに毛利方として小早川隆景に仕えた人で、本人の活躍は勿論ですが隆景の人物描写も大体こんな調子です。
実際には尼子再興軍はまだ因幡にいて、鳥取城を奪取して山名豊国を入れたら1ヶ月であっさり毛利方に寝返って…みたいなゴタゴタを繰り返してるところですが、すでに信長の手下みたいに扱われてます。
そもそも、毛利家が義昭への援助を承諾したのが天正3年5月ということなので、色々と無理がありますね。
義昭の動きは、槇島城落城が天正元年7月18日、若江城の三好義継(兄義輝の仇じゃないの…)の元に逃れた後、24日には毛利家に援助要求は出してるようですが、9月には信長から毛利家へ、義昭の策動で敵対した者は全て打ち破ったと情勢を報告していて、味方しないよう脅しているような感じです。
毛利家も当初は義昭の要求を無視したのでしょうか、義昭はその後11月に堺→紀伊へと逃れています。
