三好長慶は江口の戦いに勝利した結果、細川晴元を京都から追い出して畿内随一の勢力となったということで、榎並城も歴史的に重要な場所ですが…
おそらく早い時期に廃城となったことと、後世の開発もあって遺構は何も残っていません。


城跡碑の近くにある水神社は、築城の際に水害を被ったことから守護神として城内に祠を建てたのが始まりとのことで、そのためこの辺りが城域に推定されたという経緯のようです。
今谷明氏によれば、明治18年の参謀本部陸軍部測量局の地図に、野江村のほぼ中央に本丸跡とおぼしき環濠の遺構が見て取れるそうで、東西100m、南北50mの小規模な単郭型の平城で、当時は北方を中津川、西方を安治川、南方を大和川と大河に囲まれた天然の要害だったとのことです。
