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ホリィ(新人)のことを語る

設楽原の戦跡にはあちこちに武田家臣の慰霊のための墓が立てられています。

こんな感じで一見普通の畑の中になりますが…

原隼人佑昌胤、父の加賀守昌俊ゆずりの地勢を見る才能により陣場奉行として活躍、信玄の時代には山県昌景とともに「両職」を務めたという名臣です。
設楽原では昌景とともに左翼を担当して徳川軍に当たり、最期は乱戦の中で亡くなったとか。

山縣三郎兵衛昌景、兄の飯富虎昌から引き継いだ赤備えで有名、家康が最も恐れたという猛将ですが、信玄の側近として行政文書にも多く関わっています。
設楽原では徳川軍の柵を迂回して連吾川を渡り背後に回ろうと図るも、それを察知した大久保忠世兄弟に防がれ、最期は馬上で銃弾に斃れたと伝えられています。

昌景墓の側には、高坂又八郎助宣、昌景の嫡男・山縣甚太郎昌次、その従士・名取又左ェ門道忠の墓もありました。
これらは慶長12年に設楽原古戦場を巡って記録された『藷山随筆』の「設楽原をまもる会」による研究成果にもとづき、平成に入ってから建てられたものだそうです。
この辺で赤黒い肌をした地元の方に出会って立ち話をしたんですが、神戸から来たことを伝えると嬉しそうに「良い所に来たな、きっと良いことがある」と言われたのが印象に残ってます。