崇徳上皇が仮の御所とされたという「雲井御所」の跡。


長い間所在が不明だったのを、天保6年に高松藩主松平頼恕がこの地を上皇の旧蹟と定めて石碑を建立、綾高遠の子孫・綾繁次郎高近を見守り人としたそうです。
なお、上皇の身の回りの世話をしたという高遠の娘は皇子と皇女を生んだそうで、近くにはその墓地とされる「姫塚」「菊塚」もあったようです。
(特に下調べもせず地図もなくぶらついたので、発見できませんでした)

この「柳田」も何のことか分からなかったんですが、どうも上皇が亡くなったとされている場所だとか。それも、暗殺説にちなむ場所だったようです。
