id:k-holy は
ホリィ(新人)のことを語る

八重の桜
思い出したんですが、伏見稲荷の季刊誌「大伊奈利」に、「京都が明治維新で滅亡の危機に瀕した」という話がありました。
なんでも幕末には大体三十四、五万とされる人口が、明治四年の調査では二十三、四万にまで減少したとのこと。
遷都に伴う政治機能の移転だけではなく、商工業者や関係者の移住が相次いだということです。今で言う空洞化ですね。

その状況で京都の近代化政策を推進したのが槇村正直で、明治2年にはヨーロッパの児童教育をモデルとした日本で最初の小学校が64校造られてます。
また、京都博覧会の開催、今も続く「都をどり」を創設、新京極に繁華街を築いたのも槇村の功績と言われてます。
ドラマでは京都の閉鎖性ばかりが強調されてますが、小学校の創設には町衆が資金や土地を提供していますし、そういう開明的な政策を受け入れる土壌があったということです。
槇村があのような描かれ方をされているのは後に対立するためでしょうけど、京都の町衆までもが紋切型に描かれて「やっぱり京都人って昔からそうなんだ」みたいに思われるのはちょっとなぁ…ということでここに記しておきます。