そう来たか…の、かんべえくん&てるひめちゃん

官兵衛の奥さんは元赤松重臣で志方城主・左京亮伊定の娘と言われています。
天正六年春、毛利攻めのため下向した秀吉が播磨の諸将を集めて開いた加古川評定の直後、三木城主・別所長治が毛利方へと離反、それに呼応して別府城主・別所重棟を除いた多くの城主が毛利方となりました。
(離反の原因は定かではありませんが、別所側の老臣が兵法を長講釈して秀吉の勘気を蒙ったとか、秀吉の態度が横柄だったとか、色々言われてます)
志方城をはじめ周辺の諸城は三木攻め開始から4ヶ月程の間に全て降伏したわけですが、そこから更に有岡城の荒木村重の離反があって、例の官兵衛の説得交渉→幽閉という流れで、結局三木城攻めには2年近く費やされました。
なお、櫛橋氏は後に黒田家に仕えたそうです。
ちなみに、あの有名な合子形兜が結婚の際に伊定から贈られたという話があって、加古川の観光パンフレットにも載せちゃってるんですが、眉唾もののようです。
実際には最晩年の関ヶ原合戦の時に使われたもので、その辺の話は本山一城氏の「黒田武士の館」が詳しいです。
http://www.geocities.jp/kazzuki2001/
