id:k-holy は
ホリィ(新人)のことを語る

なお、「西宮市史」には中央の抗争に巻き込まれた摂津の事情が分析されていました。
寺社本所領の乱立による土地の細分化に伴い、武家不入の特権を盾にとった惣村の武装と自立化が進んでいたため、守護代や国衆は郷民の協力を得られず、たとえ実力行使により鎮圧できても背景に強力な政治権力がないと永続できないことから、勢力が確立できなかったと。
「瓦林政頼記」には「ナタノ五郷ハ、本ハ本所領ニテ、守護代ニモ随カワス、侍数七八百人モアリテ、自然ト勢揃スル時ハ三四千人モアル在所也」とあるそうです。

また、細川氏では四国(阿波・讃岐)で封建支配が徹底していて武力に優れたため、これが召されては摂津・和泉で戦って一部の国衆がそれに従うという形となり、現地の住民にとっても利益がなく、国衆の被官となることはあっても一家の総力を挙げて奉仕するものではなかったとのことです。