気になる人「毛利勝永」
関ヶ原で西軍について没落、土佐山内氏に預けられていたところを豊臣方からの要請に応えて脱出して大坂入城。
夏の陣の天王寺・岡山の決戦にて、決死の覚悟で臨んだ先鋒の本多忠朝を討ち取り、小笠原秀政に重傷を負わせ、4千の兵で総勢2万の大軍を撃破して本陣に突入した後、家康不在と見るや城内に撤退、秀頼を介錯してから自刃したという。
この活躍ぶりだけでも充分なんですが、道明寺の戦いでの遅れにより後藤基次を死なせたことを自責し討ち死にしようとする真田幸村を励まして撤退させたり、樫井の戦いでの先陣争いで結果的に塙直之を死なせてしまったことを気に病み切腹しようとする岡部則綱を思いとどまらせたという人格者で、しかも歳は30代後半くらい。
豊臣方の真のエースはこの人じゃないかと…いわゆる五人衆で一番若いし。
父親は秀吉に古くから仕えて九州攻めで豊前小倉6万石にを与えられた毛利吉成、元は森だったのを睨みを効かせるために毛利に改めさせたとか。
森吉成だったら森三左衛門可成と同音だけど関係ないみたい?Wikipediaによれば黄母衣衆の一人で、別名として吉成は勝信、勝永は吉政ともされているようです。
