この建物「小物屋会館」とありましたが、こちらの樽五さんのブログによれば昭和2年に建てられたもので、兵庫商人の社交場として使われていたそうです。
この3階には舞台もあって、当時は地元柳原芸者衆の踊りの会があり賑やかだったとか。
http://ameblo.jp/kobetarugo/entry-11509227264.html
この日は雨だったためか他に客もおらず暇だったのか、管理人の方が話かけてこられました。
昔は兵庫津が中心地で、ちょうどこの辺りを西国街道が通ってて栄えていた、今は神戸の発展から取り残されてすっかり寂れてますけど…と語られてました。
「KOBE de 清盛 2012」でも清盛が大輪田の泊に託した夢が現代の神戸の発展に繋がった的なことを盛んに謳ってましたが、もしかしたら地元兵庫の人は複雑な思いで聞いてたのかなーと。
今は能福寺の古い記録を読ませてもらってるところだとも…最澄さんのことなんかも書かれてるそうですが、その辺の時代はあまり分からず話し相手になれませんでした。
個人的には応仁・文明の乱の記録がどんな風に書かれているのか興味あるんですが。
この辺りは西軍の大内政弘が大軍を率いて制圧した後、父の宗全に反抗して東軍に付いた山名是豊の攻撃により焼き討ちにされたとも言われてますので…。
