講座では、山名氏は禅高(豊国)の惣領家すら関ヶ原合戦後に但馬国七美郡6700石を得たのみで、大名ではなかったため家譜や藩史の整備が進まず史料が少なく苦労しているとの談。
山名氏の総評としては、将軍家ありきという守護大名の体制から脱却できず「戦国大名」になれないまま織田と毛利に挟まれて終了、という感じでした。
そういう点は天敵(?)の赤松氏とも似てるのかな。赤松における浦上氏が山名における垣屋氏で…。
展示の中で印象的だったのは、鳥取市佐治町で時氏の墓とも伝えられているという小祠「やまんどう」。
昔そこに八幡宮があったそうで「八幡大神 山名大将軍」と併記してある棟札が紹介されてました。
調べてみたら鳥取市と言っても津山との中間くらいの山奥で、Wikipediaによれば時氏傘下の国人として佐治但馬守がいたようです。
