展示では山名時氏邸の近くに住んでいたという大外記中原師守の日記「師守記」に、南禅寺長老が入院の際、山名氏からの遣いとして時義が訪問したが「山田」と聞き違えていたという話も面白かったです。
ちなみに図録も買ったので「やまんどう」の解説を確認したところ、やまんどうの立つ佐治町古市村には八幡宮があったが、今は口佐治神社として近隣の神社を合祀した形になっているとのことと、「山名大将軍」の札は佐治に伝わる御札で「やまんどう」に由来するものと思われるが詳細不明、ただ、この地域で山名氏自体が信仰の対象になっていたことを表しているのでは、とのことでした。
検索して見つけたのは平成二年に刊行された「山名赤松研究ノート第1号」に記載の「佐治のやまんどさん」という記事ですが、こちらには元々昌福寺という寺の境内に五輪塔群と共に祀られていたもので、著者によると赤松則祐の佐治但馬守領への侵攻を受け時氏が援軍して敗走させた際の戦死者を供養したものだろう、とあります。
いずれにせよはっきりとした由来はもう分からないようですが、山名氏一族会の理事だった故人が20年前の話として著者に調査を託したものだそうで、そこから更に20年を経た今なお地元の方によって、由来も分からないまま整備保存されているのが面白いです。
