id:k-holy は
ホリィ(新人)のことを語る

朝倉氏の家訓、また少しずつ読み進めてます。
まだ本文まで辿りつけてないけど、朝倉宗滴話記の解説で教景の事績について色々と面白い話が。
教景は初代孝景の代に「朝倉の小天狗」と呼ばれた敦賀郡司景冬の娘を娶って縁者となるも、その後を継いだ景豊が、越前を出奔して細川政元の近臣となっていた朝倉元景(景総)と結んで謀反を企んだ際、主君の貞景にそれを密告し自ら寄せ手の大将となって敦賀城を落として、その後孝景の代まで三十年に渡って郡司を務めたということ。
また、朝倉氏の他国大名との通好は、越後の長尾為景と子の景虎、出羽の大宝寺氏、檜山城主・下国(安東)愛季など広範囲に及んでいたそうで、延景(義景)の代には教景もその後見人として、また敦賀郡司を継いだ景紀の養父として、武者奉行(師奉行)としてのみならず、外交政策にも大きく影響を及ぼしたということです。
敦賀は京への海上交通の玄関口にあたるため、京との繋がりを求める北国の大名は朝倉氏と通好を結ぶ必要があったわけです。
武者奉行としての国外出兵で長期滞陣が多かった(六角氏との小谷城攻めも5ヶ月に及んだとか)のも、出兵中の和議や戦後交渉に当たっていたからだと。

他にも、一乗谷の自邸の庭に鷹の巣を作らせて卵から二羽の鷹を育てるのに成功した(大きい方は主君の孝景に、小さい方は管領細川高国に送った)とか、鮭の卵を水槽に入れ水温調節して人工孵化に成功したとか、面白い逸話が色々あるようです。