ちなみに、日本との交易の遺物も残されている今帰仁城の城主となった大舜も、為朝と今帰仁の神女(ノロ)の子と伝えられているとか。
統一王朝の第一尚氏が進貢船に左三つ巴紋、つまり清和源氏の氏神である八幡の神紋を掲げさせたとか、第一尚氏七代目・尚徳王は八幡之按司の神号を名乗ったとか、源氏との関わりを匂わせる話には事欠かないようで、面白いです。
同じ源氏の血を引く島津氏の支配を正当化するために為朝を公式な王祖とした、という説もあるようですが…
そういえば沖縄旅行で訪れた勝連城の按司、阿麻和利を称える歌(沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」に詠まれているとか)でも、当時の勝連の繁栄ぶりを「大和の鎌倉にたとえる」とありました。
阿麻和利といえば日本では室町後期の人だし、鎌倉との繋がりや憧れのようなものが根強くあったんじゃないかと考えてしまいます。
