天野忠幸先生の講演「松永久秀と堺」で興味深かったのが、久秀とそのブレーン達を中心に推進された、永禄改元から将軍暗殺に至るまでの政権交代の話。
弘治4年、国学・儒学の碩学で天皇の師も務めた清原枝賢が中心となって、永禄への改元を果たした件。
旧来は天皇と将軍の合意が必要だったものが、長慶に敗れて朽木谷に逃れていた将軍足利義輝に話を通さず成されたということで、長慶が天皇から将軍並の扱いを受けたことを天下に示した。
永禄2年、久秀の祐筆で楠木正成の子孫を称する大饗長左衛門が、朝敵赦免の綸旨により、楠木河内守正虎を名乗ることを許された件。
七度生まれ変わって足利を討つと誓った楠木正成が朝敵ではなくなったことは、足利氏の正統性を否定する意味で重要だったとのこと。
その後、義輝との和睦と二度目の改元申請に失敗、長慶の死を経て、永禄8年に急進派の三好義継と松永久通による義輝殺害に及んだという説明。
その際も清原枝賢を連れて京に攻め上ったそうで、きっちり理論武装した上でのことだったと。
また、信長公記では義輝が「御謀反」と三好氏が政権の主体であったと認めるかのような表現をされていて、北条五代記でも肯定的に受け止められているとも。
(これは最後の将軍義昭を追放して天正改元を果たした信長と、古河公方を傀儡化して上杉氏と新旧勢力争いを繰り広げた北条氏という、それぞれの立場によるものでしょうけど)
この辺りが先生の三好政権論の中心になるところなのか、聴衆にも熱気の伝わる力説ぶりでした。
講演後の質問でも熱心な人が多かったです。講演内容への質問というより持論の感想を聞いてるような人もいたけど。(笑)
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