『
』
ある個人に対して、その外見・振る舞いなどから、他者がステロタイプ・偏見等の社会の価値体系を土台にして予期・期待・要求した属性と、実際にその個人が持っている属性の間に大きな乖離があり、その実際の属性が集団・社会の価値体系の中で「異常」とされその個人を卑小な存在として貶めるようなものであった場合、またその属性がその人の信頼/面目を失わせる働きが非常に後半にわたる場合
その個人は「スティグマを持つ」という。
スティグマのある者は、大きく二種に分かれる。第一に「すでに信頼/面目を失っている者(肉体的障害等で外見からわかるもの)」と、第二に「信頼/面目を失う事情のある者(他者に対して告白しなければわからないもの)」。第二の場合、さらに二つに分かれるが、一つは、性格上の欠点として扱われるもの(精神病者・同性愛者等が含まれる)、もう一つは家系を通じて伝えられるもの(国籍・宗教など)。これらスティグマについては後づけで理論づけやイデオロギー作成される。
重要なのは、固定されたスティグマはない(社会や相手との関係性で変わる)ということと、一方で個々の多様なスティグマを持つ者は皆、似た行動をとるようになるということ。自己-他者、常任-スティグマ所有者はカテゴリカルに、また固定的に異なるのではなく、連続体(ユニティ)の両端であり、ある特定の状況内で生じた役割関係に即してのみ決定する。
人は最初にnormal(統計的にきわめてよくみられる、という意味でそこに価値判断は含まれない)な視覚を学び、後にそのnormalと自分を比較する。よって、スティグマのある者は必ずnormalの価値体系を内面化している。スティグマのある者が別のスティグマのあるものに対して偏見を持ちときに差別することはこれに由来する。
いろいろな場所でスティグマ所有者(障害者を含む)に対して求められる〈よい適応〉について、いつも疑問を感じてるのだけれども、本書中では〈よい適応〉とは何か、すごい嫌味とも言うべき説明がされてて深くうなずいてしまった。
40年近く前の本であり、その後も著者は他の考え方を土台に加えつつ論を進めているらしい。他の本も読みたい。
