Annie Sprinkleの文章を読み、
Buck Angelという人の存在を知ったことで、
(よい子は以上2つの人名を検索しちゃいけません、
どっちもアメリカのポルノスターだからね!)
俺個人は「intercourseで入れられる側=女性」とか、
「女=受動的、男=能動的」とか、
「突っ込まなきゃセックスじゃない」って考え方とは
距離を取れるようになった気がするんだけど、
万人がそうじゃないだろうなあ、ってのはわかってる。
…けど、
「そういう考え方もあるよ」と言っておきたい場合もあってさ、って話。
あとー、セックス自体はただの行為だから、
そこにいろんな感情や考え方を込めることもできるわけで、
愛といたわりに満ちたひととき、とかいうのではない
「自傷行為としての」「相手を殴るかわりに」
「暇つぶしに」「うるさい相手を黙らすために」…等々、
いろんな風なセックスはあって当然で、
「コミュニケーション手段としてのセックス」ってのも、
相手を殴ることもサッカーでパスを回すこともコミュニケーション手段たり得る、というか、
コミュニケーション手段に「なってしまうことがある」という、
ただそれだけの事でしかないんちゃうかなー
