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ひとりごとのことを語る

オウムに関しては考えざるを得ないというか、ずっと考えていることがあって、
それは「わたしが『彼ら彼女ら』の側にならなかったのはなぜか?」ということ。

なにしろ条件としてはあちら側に行きそうな要因はいくらでもあった。中沢ゼミ
に通うくらいにはチベット仏教に興味がある、既存の宗教に物足りなさを感じて
いる、世界で正義があまりに行われていないという義憤があった(今は多少、異
なる認識に立っている)、高等教育まで特に苦労せず受けている、アニメ・マン
ガが好き、などなど。

あえていえば、猜疑心にまでつながるほどの好奇心の強さ、オウム神仙の会の勧
誘の女子大生を論破して「逆恨みで家に火でもつかられたらどうするの!」と怒
られた理屈っぽさ、世界を言語で解釈したがるこだわりが幸いしたのか、とも思
うが、それも状況によっては強力にあちら側に押しやる力だったろうと思う。あ
るいは、伝統宗教を厳しく守る家庭で育ったことで、なんらかの道徳的基礎が培
われたおかげかもしれない。

それでもやっぱり、自分があちら側に行かなかった理由は判然とはしない。ただ、
事件に荷担した人には「サリンをまくとは知らなかった」ではなく、知らないで
荷担してしまった自身の無明について向き合ってほしいと思う。

動機が善なら結果がどうあれ善だと、間違ってはいても盲信できるならば「サ
リンをまくとは知らなかった」などと言わないですむのだろうが、そのような強
靱さもないならば、凡夫としての無明に向き合うことが、結局は自分の精神をも
救うことにつながると思うから。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150331/k10010033881000.html

http://www.welluneednt.com/entry/2015/03/31/073000