1855年2月7日は安政元年12月21日、ロシア旧暦で1月26日。
この日、日露通好条約(和親条約)が結ばれ、千島方面の国境がエトロフ島とウルップ島の間に引かれた。この際どちらが先にどの島まで進出したかというようなことが論じられたといい、もとより千島列島に居住していたアイヌの利益などは顧みられなかった。
この後数度日露間で国境の変更が行なわれ、その過程で樺太アイヌと千島アイヌという二つの社会を日本は滅ぼした。
今も日露間の交渉においても、日本の内政問題としてもアイヌの先住権などということはほとんど考慮されない点、およそ150年前と異ならない。
2月7日、という日付はこのために思い起こされるべきだ。
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