あまちゃん。
朝ドラって、ヒロインを魅せるドラマだった、と言うことを思いだした、あまちゃんであった。
宮本信子を祖母に、小泉今日子を母に、かつてのヒロインである鈴鹿ひろみ(薬師丸ひろこ)を脇に据え、圧倒的美少女である橋本愛を友人にして、なんだかんだいいつつ周りの男達はみんなヒロインに恋をしている、と言う状況。
これが、「ヒロイン補正ぱねえドラマ」でなくてなんであろうか。
それをナチュラルに可能にする能年玲奈という女優のヒロイン力たるや、である。
(そしてもちろん、脇に配した人たちの巧みな巧さ。春子の「主役は助けてもらえる」というのは、なるほど真理である)
物語の中には、ヒロインの嫌なところもいいところもちゃんと詰まってて、大人も子供も許したり許されたりしながら、コミュニティが存在する。コミュニティも人も、正解もしないし完成もない。不変でもある。なんせ、史実に照らし合わせるなら、「コミュニティがある日突然現実的に崩壊する」ということは、あり得るし、その可能性は濃厚なのだ。解体して、作り直して、そこにある者は、また別のものだったりする。
つねに課程にある。課程である、と言うことは、成長途中である、と言うことだ。あまちゃん、主人公が成長しないって言う人は、「成長」へのハードル高すぎるんじゃないかな−。作ってこわして、逆回転して、それ自体だよ人生は。
それこそが、成長の過程で、それって、朝ドラのやってる「ヒロインの人生をドラマにしよう」とおもったら、まあ、みんなそうなるよねー。どうだろう。ならない?なるとおもうし、なってたとおもうけどなー(面白い、面白くない、描き方の上手い下手はあるにせよ)
