id:skbn は
せきららこのことを語る

本性と称して見えるその全てが汚くてみていられなくて苦しむ愛ですけども、純だけは綺麗にみえているんだよね。

それを人は「恋と呼ぶ」のかもしれないけど、私は、「主人公補正」と呼ばせて頂こう。
形だけでも「本性」と口にするのは、やめたらどうかなー!(ドラマの脚本として伝わりやすさを重視した結果なのかもしれないけど、正直判断できないんだよね。その辺を、作り手が、どう考えているのか)

大体、自分の見たいようにしか物を見てない愛に、「本性」とか「本質」とかいってほしくないヨー。

それは、「見えてしまって本人が一番辛い」という事実とは全く別の問題で
彼がそうやってる限り、彼は「自分が見ている他人は、どこまで行っても自分を介した他人なのだ」と言うことに気がつかない。
悪い面ばかり見えて、辛くて苦しいのだろうけども、そのつらさや苦しさと、付き合っていくためにどうするか、と言うことを考えない彼は、他人の優しさや他人の思いに触れる機会がない。

とりあえず、愛はネットで人狼でもやってみたらどうかな!
きっと「村人である、と言うことを証明するのは難しい」というのがわかるはずだから。
説明能力が付くんじゃないかな!説明が必要である、ということも、受け入れられるようになるんじゃないかな!

そうやって術を見つけて、「他人には理解してもらえない」という現実は、実は誰にでもあることだ、と言うことを、芯から理解できるといいよね。
今みたいな「どうせわかってもらえない」「わかってくれない他人の方が間違ってる」という、卑屈な理解の仕方から、脱却できるといいんじゃないかしら。

麻雀で稼いだお金を元手に、パソコン買ってさ。現実的な問題も、それでわりかし好転するんじゃない?
純は、仕事も含めて社会に出て行くことを「訓練」のように語るけども、顔見られないなら顔が見ないで仕事する方法を考えればいいわけで、ネット使う、とか色々あるじゃん。(今だって、顔を合わせる仕事は除外してるわけだしさ)
『雲の上のキスケさん』の中でも「雨の日は体が重くてだるくて辛い」体質の眉子に、マニーが言ってたよ?

「だから、眉子やったら、雨の日休める仕事をかんがえたらええねん」
「でもそれじゃ、甘えてるって事にならない?」
「なるかいな。あほやな。自分、重症やな」
って!(うろ覚え)

まあ、愛は、魂の綺麗な綺麗な純が、お母さんと全く同じセリフを口にしている、と言うことをきちんと考えたらいい。