id:skbn は
せきららこのことを語る

端から見たら好き放題しているのに、好き放題、させてるのに、その人は常に怒っている、と言う環境が、あの家では何年も「日常」だったのだろう。そりゃ、家族も疲弊する。
疲弊するとわかっているのに、ずるずると、妻はその場しのぎで夫のご機嫌伺いを続けたんだ。
それを「お父さんについて行くと決めたの」とかなんとかいいように自分の状況を解釈して。

自分で勝手に、夫のプライドと実父の板挟みになっている、という悲劇のヒロイン状態にもなったんじゃないだろうか。そして今は、自分は、純と夫の板挟みになってると思ってるんだろう。
嫌なことを、現状より悪くなることを考えたくない、問題に向き合いたくないとその場しのぎでそうしてるだけなんだけど。

そりゃ別に、お父さんについて行くと決めている、のも、辛い気持ち、も嘘じゃないんだろうけど。
現実、辛いから、その場しのぎでやり過ごしてるんだろうけど。

娘が、娘である、と言うだけで、自分の苦しみをわけあえる味方だと思い込んでるんだろう。実際には「従属させられる人間」とカテゴライズしてる。自分の苦しみを唯一分かち合える人間。息子には出来ない。息子にはいい顔しかしないから。自分を理解し、共感してくれるのは当然と思ってる。自身の、おじいへの思いも、娘が代弁してくれてるし。自分を助けてくれる存在。そうやって、暗に過剰な期待をかけ続けて、出来上がったのが、純だ。
その期待に応えられる自分でいなければ、純は、あの中で家族ではいられなかった。

……などと妄想しながら観たら、純と愛はぼろなき必須です。
ダークサイド版カーネーション。

もしかしたら、語っている回を見逃しているのかもしれないけれど、狩野家の人々、奇妙なくらいおじいの話、をしない。純以外、おじいの話をしないもんで、思わず、おじいは、家族の中で居場所を見つけられない純が、自分の精神安定のために作り出した「幻」なんじゃないか、と疑い始めている始末だ。

いや、まあ、それくらい、タブーなんだな、とは思ってるんだけど。