去年、節電の折りに、ツイッターなんかでよく
「もっと暗くすれば電力は抑えられる(から、原発に頼らなくていい)」的な文脈で
「夜の街が明るすぎる!」みたいな呟きを見たの。「街」は、その時々によって、「駅」や「店」に変わった。
大抵は、そんなに便利じゃなくていいのだから、から始まる文明disの末端にあるような言葉だった。
私は、あの震災のとき、停電で全く明かりのない道を歩いて帰ってこなくちゃ行けなくて、だから、そのときはとてもそんな風には思えなかったけれど、それでも、確かに、「便利」は当たり前じゃなくなっていくんだな、と思ったし、夜道はともかく、駅や店は明るすぎるように感じてた。
節電で、暗くしている駅もあったから余計。
それから更にしばらくたって、NHKのニュースで、節電により、駅構内や街全体が暗くなって、弱視の人が全く見えなくて困ってる、と言うのを見た。
いやあ、あのときは、後頭部を殴られたような気がしましたね。私の考える利便性なんて、私サイズでしかないんだな、って、わかっていたつもりだったけど、まだまだ、全然わかってなかった、と思いました。
震災前の駅に比べて、駅は確かにほんのちょっと暗くなった。それでも、苦情が寄せられ続けたと言う。「まだ明るい」という苦情が。
弱視の人は、「これ以上暗くなったら、外に出られなくなってしまう」と言った。
何のはなしかっていうと、あたらしいitunesさあ。使いにくくない?これ、誰サイズ?
と思っても、きっとこれが便利な人、と言うのがいるのだ、と言う事です。
