id:skbn は
せきららこのことを語る

私ねえ。

国民の8〜9割は、基本的に反原発だと思ってんの。

スタンスとして「反原発じゃない」って言う人を解体していくと、大抵の人は「やむなく賛成」だと思うし、あれが根本的に危険なものだ、と言う意識は多くの人にあるんだから、動かさなくて済むなら動かしてほしくないって言う人は、多いと思うのよ。(ていうか、何が何でも原発動かしたい!推進推進!と言う人は、ひとまず無視していいと思う。すぐには動かないからね)

多くの人は、様々な、例えば経済的な問題や、エネルギーの問題を心配してて、そこと秤にかけて原発反対、賛成、ってやってるんだと思うの。

つまり、大抵の場合、対立の論点は「原発反対・賛成」じゃなくて、原発を動かすリスクと、動かさないリスクと
それぞれプライオリティが違う、という話で、ここを擦り合せていくのは、充分な対話でしかあり得ない。ていうか、特に「原発を無くす」という結果を目指すなら、その対話と擦り合わせが一番現実的じゃないか、と思ってる。

なのに、あのデモ……ですよ。

あれじゃ、対話もなにもあったもんじゃない。
「反原発!」と声を上げる側が、自分が属さない方の人間をこき下ろす、というエキセントリックな方法。そんな人の話を聞こうとしてくれる人が、一体どこにいるって言うのか。
デモンストレーションに参加している人たちが、自分の主張を届けなきゃ行けないのは、デモに来ている人やその運動を好意的に考えている人たちじゃないよ?「実行動として原発を動かそうとしている人」や、「そこにいない、関心のない人」なのよ?

なのに、それやっちゃったら、さあ。主張を通したいからデモやってんでしょう?主張を通す為の働きかけでしょう?自分たちからシャッター閉めちゃってどーすんの?

それどころかだよ?様々な心配や懸念を考えながら、意見の異なる人と対話を続けている人、って言うのはいるんだよ。現実的に廃炉にする為に、将来的に、そう言う未来にする為に、どうするか、どう考えるか、対話している人は、いるよ。でも、こういうデモで、あの手の発言が取りざたされて、「反原発=エキセントリック」というレッテルばりされちゃうと、そう言う人たちは対話が出来なくなっちゃうんだよ。もー泣きたい。

この情報化社会。デモは、その日一日徒党を組んで歩けばいいってもんじゃなくない?
学園祭じゃないんだからさー。その後、どこまでもどこまでも話題になって、それぞれが考えたり対話する事が当たり前になる、その機動力にできるわけじゃん。なんで、拒否反応が大きく起こるようなやり方をするのかなあ。

もー、泣きたい。