id:skbn は
せきららこのことを語る

カーネーションを、どういう訳か母や自分の環境と重ね合わせてみてしまっている。

・姉妹がいること
・祖母にメインで面倒を見られていること
・母が忙しく働いていること
・何らかの理由で幼い頃に父を亡くしていること
・身内(母)が不倫をしている事実を子供時代から把握していること
(私の場合は、遺伝子上の父に家庭があった)
共通点、と言えるかどうかもわからない共通点なのだが
特に最後の部分に思うところがあるのだろう、と思われる。

ネットで糸子の恋愛を糾弾する声を見かける度
思っている以上に心がえぐられる。なんで糾弾されるのだろう、と思う。
子供を引き合いに出されて「かわいそう」なんて言われた日にはたまらない。

「とても大切な人が責められるべきようなことをしている」という事実なんかよりずっと
「かわいそう」だとかいう同情は、私の心をえぐっていったことを思い出す。

私は子供の頃から、この事実に折り合いを付けてきたつもりだし
まあ、どうしようもないじゃん、と思っていた。

父に対する情愛もなく、母が忙しくしていることに対しても
トータルで寂しかった、とは思ってない。(当時思うことはあっただろうが)
それは、周囲の大人たちがとてもかわいがってくれてたからだと思うし
ある程度大人になるとその恩恵は母が作り上げた人間関係に寄る物だ、と考えるようになった。
母を恨んだり、悪く思ったりする理由がない。
(人並みに反抗期も反発も大げんかも常にあったけれど)

幼い頃から、母に対して信頼していた、これにつきると思う。
それが、子供の私に、その現実との折り合いを付けさせ
「気にしない」と言う方向性で現実を受け止めてきた訳である。

大人になった今、殊更に「気にしない」というスタンスも、まあ、やっぱりなんかあるんだろうな、と感じてるし、父に対して特別な感情がほとんどない、と言うのも私が鈍感だからなのか、とはいえ、それはそれでこだわりなのかな、と思ったりはする。
でもそれはそれで、どんな環境にだって問題はあるものだし、
その現実への対処はその人自身でしか出来ない物なのだから
まあ、そういうもんだ、と思っているのである。

カーネーションを見ながら、
私自身、「気にしていないつもりにしていたこと」がはっきりしたことは収穫だった。

私はどうしたって「不倫」というキーワードをもとに
その親子関係と、周囲の目線を気にしてしまう、のだ。
全くの他人が(この場合視聴者のスタンスにいる人たちが)本人を糾弾すること
子供をかわいそうがること、に、やっぱり、過剰反応している、と思う。
心をえぐっている、と思う。
えぐるんだ、ということをわかったのが良かった。
気づかないふりするより、ずっと良かった。気にしないのはあくまでスタンスである、と言うことがわかってよかった。
気にしないのはあくまでスタンスである、と言うことがはっきりわかってよかった。
その上で、気にするほどのことでもない、と言うことがはっきり自分でわかるのだった。
でも、気にしたからって悪いことでもない、そう思えたから、良かった。