婚外恋愛の悲しいところ、は、当人達以外の人間が不幸になったり、悲しい目にあったり、やきもきしたり、いろいろ、折り合いを付けなくちゃ行けなくなったりすることだ。
そりゃ当人達だって苦しいでしょうが、いざとなったらやめることも突き進むことも最終的判断は自分で出来るわけで、制限ある恋愛を選んだのは自分たち、だし、なんだかんだで恋愛中の幸福感はゼロじゃないわけで、そう言う意味で理不尽感は少ない、と思う。
積極的に理不尽な思いをしてしまうのは、当人の配偶者や子供、親、友人、だと思う。
カーネーションで「モデルであるところのコシノアヤコさんの不倫のエピソード」について、私が描いて欲しいなあ、と思う理由の1つは、昨日もハイクしたけど
「ここまで見てきた小原糸子という人物だったら、『書いたらいいやん』と言いそうだから」だ。(コシノアヤコさんどうこうはあまり関係ない)
あともう一つ。
それは、娘であるところのコシノジュンコさんが「親子で仲良くさせてもらっていた」と口にした、と言う話を知ったから。
私は、私の経験に基づいた感じ方しかできないから、コシノさんのその言葉の本意は想像するしかありませんが、それは、母の恋愛で感じた自分の感情や起こったこと、様々な状況に折り合いを付けた末の言葉ではないかなあ、と想像します。
口さがないうわさ話で大好きな母の悪口を聞かされたり、相手家族への罪の意識にさいなまれたり、そう言う事実はなかったかもしれないけれど、発生する可能性のあるのが不倫という恋愛で御座います。
それを越えて、そう言う言葉を口にされたのではないか、とも思うので「書かない」と言うことで、なんだか邪推されてしまう(朝ドラにふさわしくないとか倫理的な問題とか)状況は作って欲しくないなあ、と思いました。
カーネーションは小原糸子の物語で、脚色も当然あるし、事実ばかりじゃないに決まってるし、ドラマです。が、もう一つの事実として、コシノアヤコという実在の人物をモデルにしており、そして、その娘達は今もまだ生きていて、ドラマを見る可能性がある。
ドラマ的に、必要のないエピソードで書かない、と言う選択肢はあるわけで、それは当然わかるのだけど、それでも、もし、関係者がドラマを見たときにそこを邪推する余地がない方がいいなあ、と思ったのでした。何より、渡辺あやさんはそう言うことをちゃんと書ける方だと思うし!
