「料理のコツを教える能力」と「料理がうまい」というのは全く別の能力だよね。
人にものを聞くときは、教える事を生業にしている人、もしくは教える技術にある人に聞かないと、的確な回答は得にくいだろう、と思います。
教えて欲しい側のニーズに、誰でも、誰もが対応は出来るわけはない。
料理したい人のニーズをヒアリングし、その人の望む回答とその道筋を話す、と言う能力は
「料理がうまい」という能力とは別のものだし、料理がうまい人に聞けばそれがえられる、と思うことがそもそもの間違いだと私は思います。
そこは聞く側も推して計ろうよ、と思いますよ。
相手が、対応は出来ない、と思っててくれるなら、誰に聞こうが社交辞令で話題にだそうがいいと思うし、教える立場になっても気楽にあーだこーだ出来る。
だけど、教える側対応できない、と言う事実に対して
「教えて欲しいニーズに対応せずに、精神論とか根性論とか持ち出すのってどうなの?」
って話をされちゃうと、相手と気軽にコツを共有したい、コミュニケートしたい、と思ってる人ほど萎縮しちゃうんじゃないかな。
逆に聞きたい。なんで、あ、そうなんだーそう言う方法もあるのね、で終わらないのだろう。
自分が望んだ答えじゃなかったときに
そういうことを聞きたいんじゃねえよ!と
言う気持ちは理解も出来るし、精神論や根性論のように、自分のニーズとかけ離れた対応をされたら、そのものに対する興味を失ってしまう、ということももちろんあると思う。
ネットにはよく「素人帰れ−!」みたいな空気もあるし「技術も教えることも素人」と言う人が、自分のやった血反吐を吐くような努力だけを頼りにしていてそれを素人に強要する、と言う図式や素人をあざけり笑う様なことがあったりして、まじそういうのなくなってほしい。こわいなにあれ。
と、私も思う。
ggrksってそりゃ私も思ってしまうことはあるけど、ものすごく意地悪な言葉だよね。
でも、一方で、何か一つの物事に対して「教えて」と言ったのだとしたら、それが社交辞令だろうと軽い気持ちであろうと、そこで相手に何らかの負荷をかけてるわけで、自分の都合で相手に負荷をかけたのに、それが望むものじゃなかったからといって相手がおかしい、というのは、またちょっと別の話だよなあ、と思う。
もしかしたら「そもそもプロ級になりたいとかなら、ちゃんと謝礼も払って相応の人に聞きます!軽い気持ちだから素人に聞いているんですyp!それくらい分かれよ!」とかそういう事もあるのかしら。
もしも、もしもそう言うことなのだとしたら、私は、質問する側もすごく失礼で意地悪だと思う。ggrks、位に。
「自分のニーズに合わせて相応の場所を選ぶ」事は当然だと思うしその方がいいよ。
でも、「軽い気持ちだからこういう場所で聞いてるのに、それがわからないで、不適切な答え方をする人間がいる」と言う話なのだとしたら、おまえの質問の仕方と場所が不適切なんじゃい!と、私は思います。
いずれにせよ、あなたの目指しているものはあなたにしかわからないんだから、まずはあなたがそれを明かさないと。「質問」しているの、あなたでしょう?と私は思いますよ。
パソコンのこと聞くときなんかは、パソコンのスペック言わないと答えられないじゃん。
あれと一緒じゃないかなあ。
