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quadratus (★)のことを語る

[父]
2013年に母が亡くなった時、父はもうだいぶ歩けなくなっていて、葬儀の日に教会では車椅子が必要だったし、疲れと老いが傍目にも分かる様子だった。誰が挨拶してもろくに会話しようとせず、ひたすらうつむいて腰掛けていた。
頻繁に合っているわけではない母方の親族たちは、母がカトリックだったのに対して父は強固な無神論者なのを知っていたこともあり、ミサの後の喪主の挨拶なんか無理じゃないのか、あなたが代わりにした方が良いんじゃないのかとさんざん言ってきた。
でもわたしは少しも心配していなかった。前日に、「お父様、挨拶だけお願いね。あとは全部するから」といったときに父は「ああ」と答えて、それだけで十分だった。
そしてね、実際に、父は、ほんとうに完璧な挨拶をしたのだった。
立ち上がる時だけ私の腕を支えにしてあとは自分の足で立って、しっかりした声で、母の生い立ち、人となり、キリスト教徒として生きて亡くなっていったこと、を静かに話し、母を知っていてくれた人たち皆に感謝を述べた。
下書きもメモも一切なしで、破綻も冗長さもなく、言い淀むこともなく、5分を超える小宇宙みたいなスピーチをしたのだ。
わたしは得意で(葬儀だっていうのに)笑いそうでしたよ。
はははざまーみろ老いさらばえちゃったと思っただろうが違ったねえ絶滅危惧種の旧制教養ジジイの底力を思い知ったか、とかね。

そんな父をなんとかして越えなきゃならんと思って、がんばった次第である。
あの日、父がうつむいてろくに会話しなかったのは、呆けたからでも拗ねてたからでもなく、自分の中に言葉を蓄積して集中力を切らさないためだったことがよくわかった。
一切下書きなしというのは自分にはできなかった。でもメモは見なかった。
一番聴いて欲しかったひとが棺の中というのはほんとうに残念なことね。