[わりと、だからどうなのよ的な話]
公正な審判と正確な審判は必ずしも同じでないかもしれない
視覚は常に騙されやすい
騙されやすいところを機械に肩代わりさせたとしても絶対ではない
審判に求められるのは正確さである以上に公正さではないのだろうか
んで公正さとは、公正であるために全力を尽くすことと、全力を尽くして公正が守られていることへの信頼との相互関係を指すのじゃないだろうか
機械判定的なものは公正を守るための尽力の一部として位置づける必要があるのじゃないだろうか
それなくしてスポーツなんてやってられないんじゃないだろうか
などなど
テニスで機械判定が導入された頃に考えていたこと。
