真とか善とか美とかって概念は実際のところ色々答えがあって、
優劣とか正解不正解をつけられるもんじゃないんだよなと思う。
たとえば、介護づかれをしている人が介護のために心中自殺するっていうことが善なのか、
それとも介護している相手を施設に入れて孤独死させるのが善なのか?
あるいは、シャガールやピカソの絵をその辺の美大志望の学生の絵と比べて、
美とは色々だからと同価値で扱うべきか扱わざるべきなのか。
神はイエス・キリストなのか、アッラーなのか、それともいないのか?など
小さなところから大きなところまでこの問題は日常的に転がっているんだけれど、
ぼくは結構こういう問題にすごくこだわってしまうのだ。
いや君の音楽は音楽じゃねーよ、とか君の写真はうまいけど、それだけだよねとか。
当然好きでやってる人はムカっと来る。
でもぼくには明確な基準があって、言っても言わなくても、認められないと言って喧嘩になるのだ。
善の問題もそうで、東京オリンピック誘致はいいけれど、その前に原発をどうにかしろよ!!
嘘つくなよ!!とかすごく思ってしまうのだ。
で問題はだな、そういう厳しいところもある一方でダメダメな自分も相手に認めてほしいって願うことなのだ。
分かったよ、ぼくは君のことを批判したり、評価したり、裁いたりしないさ。
けれど、君もぼくにそうしないでくれ!! と言える世界はなんだか味気ない気がしてならない。
そんなわけで大小のトラブルをわれわれみんなは抱えて生きてゆくのだ。
みんな認めてほしくて、みんな認められない!!って言いながら。
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