何となく見た『ローン•レンジャー』って映画が重すぎて、しんどかった。
アフガニスタンでタリバンに包囲され、重傷を負って、退却する特殊海兵隊たちの話。
最後の一エピソードを除いて、全く救いがなかった。あーでも先進国と後進国の戦争は難しいなとすごくためになった。
そして、どんなにマッチョなことを思ってて、どんなにマッチョであっても、人は死ぬのだった。
最近『夏への扉』でSF作家のロバート•ハインラインの『宇宙の戦士』って、
映画『スターシップ•トゥルーパーズ』の原作を読んで「古来より暴力はどんなものより多くのことを解決してきた」、
「自由とか市民の権利とは自己よりも共同に対する責任を追うもののみが行使できる」
みたいなことが書いてあって、「良くも悪くも本当にそうだな」とか感心してたんですが
(ちなみに『宇宙の戦士』は結構危険書に認定されている)
一方で「きっと暴力は憎しみと反逆心、新たな暴力しか生まないんだろろうな」と思った。
おそらく本当にそうなんだろう。ぼくはタリバンより米軍の味方だ。韓国政府も中国•北朝鮮の独裁政権も嫌いだ。
けれども、それはぼくの中での正義であり、実際に正義なんてものは存在しない。
例えば、中国や北朝鮮での正義とは殆ど暴力に基づいた正義だ。
究極的に頼りにできるのは人間的な倫理や道徳しかないのだ。その中で、いかに理知的•戦略的な思考と判断で、
そういう自分たちの利益や平和を脅かす暴力と戦えばいいのだろうか?とふと考えてしまった。
逆に「平和」という「正義」を掲げること自体がぼくには暴力にしか見えないこともある。
例えば、色々なことを捏造しながら、謝罪もしないのに、上から目線で世の中を裁いて、日本国民に謝罪を強制している
某新聞社となんてどう理解し合うかとか考えると、ぼくは本当に絶望的な気持ちになる。
おそらく相手を変えようとなんていう考え方はすごく不毛だし、疲れるし、敵意を生むものなんだろうな。
別にぼくらにとってはクジラやイルカは食べていけないものじゃない。
けれど、女子割礼、同性婚、民族浄化、核兵器、クラスター爆弾の製造は許されていいものなのか?とか言うと、
すごく難しくなる。やれやれ、人類は本当に面倒臭いのだ。
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