10年くらい前に「勝ち組•負け組」とかいう言葉が大手を振って出てきた時に、
なんて品のない、前近代的な嫌な言葉なんだろうと、
それを普段使いする人たちを見ていて、
思っていたんだけれども、この言葉のダサさとは、
人生の人生の価値観を、世間の尺度に委ねてしまってるところにあるんだ、と今更ながら思うのだった。
まあ、こういうのは、自分の人生の中に色んなものを気にする女性が入ってくると、
いろいろ難しいところはあるんだろうけれども、たとえば、ぼくは香港に行ってもインターコンチネンタルホテルや
ハイアットに泊まって、ナッツフォードテラスのオシャレなお店でご飯を食べるのではなく、
マカオにある安くて清潔なポウサダ(コロニアル風のプチ•ホテル)に泊まって
こじんまりとしたポルトガル料理店で安いワインを飲んで、マレーガニやアサリのパエリアを食べてたほうが
幸福なのだ。(ぼく一人なら2000円くらいのゲストハウスと500円あればお腹一杯になる粥麺専家があれば充分だけれども)。
京都でいうと、有名店じゃなくて、二条とか三条にあるようなおばんざい(京都の家庭料理)の店に入って、
なるほどこの季節にはこんな野菜をこんな味付けで料理してるんだと感じることに豊かさを感じる人でありたい。
と、まあお金を持ってることには越したことはないんだけれども、
いかにお金を使わずに、それ以上に幸せを得られるかが、ぼくも含めて最近の人たちにとって
興味のあることじゃないのか?と酸っぱい葡萄かもしれないけれどもぼくは思うのだった。
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