id:Kodakana
三沢さんの想いのことを語る

三沢光晴…
 
今にして思い返すと、三沢光晴は不思議なほど周囲の期待を集めてしまう人物だった。
長州力は「プロレスとは裏切ること」だと言ったが、三沢には「裏切り」という感性が希薄だったことが、語弊を畏れずに言えば大きな欠点であったのかもしれない。
 
プロレスリング選手・三沢光晴が歩んだ道の中で、「裏切り」といえば、二代目タイガーマスクの覆面を脱いだことと、全日本プロレスから出てノアを旗揚げしたことが浮かぶが、そのどちらも三沢にとっては「自分が納得いくようにやりたい」という思いであっただけのことなのだろう。
 
プロレスリングを巡る複雑なうねりの中で、三沢光晴は大きな動きや激しい技を多用するスタイルの大成者になった。しかし、レスリングの素地を十分に持っていた三沢自身は、本当はもっとレスリングの基本的な動きで見せるプロレスがやりたかったのかもしれない。
過激化する一方では先がないことも一番よくわかっていたはずだ。
 
しかし、三沢光晴には、期待され、期待に応え、期待を呼ぶという連鎖を断ち切ることはできなかった。
だから将来を期待した潮崎豪には、長期の海外修行に出したり、藤波辰爾・西村修を招聘してのタッグマッチでパートナーに指名するなど、「三沢とは違うプロレス」を経験させる機会を繰り返し設けた…今振り返ればそう思える。
 
数年前から選手としての先が長くはないことを自覚していた三沢光晴は、おそらく、潮崎をはじめとする若手選手にプロレスリング選手としての技能を身に付けさせるだけではなく、「三沢から新世代に舞台を継承する」という場面を作ることで、客を呼べる「顔」として育て上げ、近いうちに引退する…、そうしたかったのではないか。
そのつもりで「あと少しだけだから」と無理の上に無理を重ねてしまった…。
 
「みんなにとっていいことばっかりやってたら潰れてるよ、この業界は」。長州力はそう言った。
三沢光晴はみんなの期待に応え続けることによる深刻な矛盾を一身に背負い込んでしまった…、そういうことなのだろうか。
 
2009年6月13日…。三沢光晴、46歳、リングに斃れる。