[ほそぼそ]
もうすぐ祖母の三回忌です。自分の入院手術からわずか10日、最後のおみまいから2週間での別れでした。
80歳を過ぎていたので、世間的にはまあ長生きで、仕方ない寿命だったと思います。
でもわたしにはまだまだ早すぎた。
その3年前、2008年に父方の祖父を亡くしているのですが、おじいちゃんは余命2ヶ月と言われてから1年以上生きました。
その間、たくさん病院に通ったし、おじいちゃんの闘病生活を見ていたので、
最期はおつかれさま、もう痛い注射しなくていいね、好きなおすしも食べられるね、という気持ちになれました。
長く看護してくださり顔見知りになった夜勤明けの看護師さん数名、まだ若い主治医の先生、
霊安室(病院の最上階にあってとても明るく、旅立ちにふさわしいきれいな部屋)に来てくださり、一緒に泣きました。
看護師さん達は「もう○○さんに声をかけてもらえないのは寂しい」と言っていました。
年齢もそうだし、闘病も十分すぎるほどがんばったし、病院の方にも良くしてもらえて、宣告から1年以上一緒に過ごして
これはもう仕方ない、こころの準備というものもしてきたはずだ、と思えました。
それでも葬儀では従兄のお兄ちゃんの号泣につられて一緒に泣きました。
田舎なので親しくしていたお坊さんも説法の途中で泣いていました。
おばあちゃんは、持病の糖尿病があったにせよ、ちょっと調子悪い、で検査入院してそのまま帰ってきませんでした。
もしあとどのくらい一緒にいられるかわかっていたら、何をしたでしょう。
おばあちゃんに作ってねと言った料理、家に行く回数、仕事でほめられたこと…
何をしてもしたりなかったと思います。
子供の頃のワンピースやセーター、バッグは祖母の手作りでした。おばあちゃんはなんでもつくれる。
三回忌だというのに、30目前の大人だというのに、法事を前にして泣かない自信はありません。
ゆずの“逢いたい”という曲がありますが、泣いてしまうので絶対聴けません。
あと50年くらいしてわたしが死んだら、もっとおばあちゃんになったおばあちゃんに会えるかな。
それとも死んだひとはそのままかな。おじいちゃんも、おじいちゃんのままかな。
私の字は、書道の師範だった祖父直伝です(上手くなくてごめんね)。そういうところに、愛情を感じています。
はちのことを語る
