id:star-gazer は
はちのことを語る

わたしは若輩者ですが過去の経験から、性善説の立場では考えられません。
学校内のいじめではなく、警察が出てきた犯罪被害にあったことがあるとだけここでは書かせてください。

犯罪を犯したかが決まったときにはもう被害者は大きなダメージを受けています。
それを回復することは簡単なことではありません。
なぜなら事態が起きたときにはすべて事実として成立していると思うからです。
被害者が加害者に直接制裁を下すことが本当の因果応報になると思います。
かもさんの“われわれ”を“社会”と読み替えてもよろしいでしょうか。

>正義はわれわれの側に現在あることは,正義がいつでもわれわれの側にあることを含意しない.
これは、わかります。

犯罪を犯したことが確定するところまで達するには第三者の介入が必要になると思われます。
大津の件がこれまでと少々違うところはここにあると感じています。
おおごとになったと感じさせるには第三者の介入でじゅうぶんな効力があります。
ただ、ここまで来てからでは何もかも遅いと思うのです。
犯罪者と決まったからといって全ての権利が剥奪されるというのは言い過ぎたかもしれません。
でも彼らにとっての人権とは何なのか、それを説明してほしい。
あらゆる権利を放棄するまで追い詰められた人が存在することに対して、
その加害者(と推定される)側はどう考えているのか主張する権利も義務もあると思う。

もちろん刑務所行きになったとしても社会の構成員であることは変わりません。
しかししたことが許されると思って生きていてほしくないと個人的には思っています。
戻ってくるときに色眼鏡でみられたくない等と彼らは思うでしょう。
でもそれは因果応報、自らが犯したことへの対価としてついてまわる。
仮に生き地獄になったとしても自業自得だと思います。

私の考えは冷たいかもしれないし、法律論からいえば偏ってるかもしれないし、極論かもしれない。
それに対してリプライをくださったことに感謝します。