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菊地の私淑するエレクトリック・マイルスをコンセプトの軸に、アフロポリリズムやファンク、現代音楽を取り入れることで、クラブカルチャー/ダンスフロアに、従来とは異なる律動構造をもったダンスミュージックを提示することを音楽的な主眼として結成された。
当初はCDJ、キーボード、テナーサックスを兼任するバンドマスターの菊地の他に、キーボード、ギター2人、ベース、ドラムス2人、パーカッション、タブラ、ソプラノサックスの10人編成で結成された。2000年に菊地の私塾の生徒だった後関好宏(テナー/ソプラノサックス)が加入、11人編成となり、菊地はCDJ、キーボードの演奏とバンドのコンダクトに専念するようになる。第二期(2003年〜)に入るとブラスセクション(トロンボーン、トランペット、チューバ)が増員され、14人編成と更に大所帯になる。
当初2002年に解散をすると宣言をしていたが、その後も活動を続けた。ちなみに、スタジオアルバムや楽曲のタイトルは実在の書籍や映画に由来するものが多い。
「キャッチ=22」著:ジョーゼフ・ヘラー 1961年
「アイアンマウンテン報告」著:レナード・C・リュイン 1967年
「構造と力」著:浅田彰 1983年
「アメリカ」著:フランツ・カフカ 1927年
「ジャングルクルーズにうってつけの日」著:生井英考 1987年
「競売ナンバー49の叫び」著:トマス・ピンチョン 1966年
また、菊地がリスペクトするマイルス・デイビスや菊地雅章などジャズの楽曲だけでなく、ジミ・ヘンドリックス、ビージーズ、デヴィッド・ボウイらの往年の名曲もカバーしている。
2007年4月25日、O-EASTでのライブの本編終了後に活動終了を発表。理由としては「アメリカを表現したため、ファンクバンドとしての役目を終えた。あらかじめ活動終了をアナウンスすると、最近会場に足を運んでいなかった観客が押し寄せるだろうから、あえて当日まで秘密にしておいた」と語っている。アンコールではメンバーが担当楽器を持ち替えて「Hey Joe」を演奏した。
2009年、マイケル・ヘンダーソン率いる「エレクトリック・マイルス・リユニオンバンド」の来日公演のダブルビルとしてのオファーを受け、一夜限りの活動再開が決定されたが、マイケル・ヘンダーソンのプロジェクト自体が頓挫し、単独ギグを行う事となり、併せて活動を本格的に再開する事になった。
2010年7月25日、菊地のサイトにおいて再集結が発表。再結成では無く新メンバーによる活動再開であること、バンド名をDate Course Pentagon Royal GardenからDCPRG(ディー・シー・ピー・アール・ジー)に改称することがアナウンスされた。2010年10月9日、東京の日比谷野外音楽堂でのライブを皮切りに、単独公演やレコーディングなど、定期的に活動を行っている。2012年以降はSIMI LABとのコラボレートを続け、ヒップ・ホップの要素も取り込んでいる。フェスティバルやイベントでの客演も多く、日本国内でも有数の大型ダンスバンドとなっている。
活動再開後の編成は、菊地の他、キーボード2人、ギター、ベース、ドラムス2人、パーカッション、サックス2人、トランペットと、結成当時とはやや異なっている。
