id:a-cup-of-snow は
雪杯×すのう!のことを語る

毎日一句 反省会

団欒に庭の花火は待ちぼうけ

花火という季語で考えていたものです
母が花火を買い込んで孫を待っていたことを思い出して
孫もそこそこ大きくなると花火なんかそうしたがらないし、そうでなくても連日花火花火じゃ飽きるし…ということで、庭に花火の支度はしてあるけれど、食後のテレビや(ゲームや)おしゃべりが終わらなくて、花火は待ちぼうけをくらっているという内容です
最初は
子らを待ち花火とバケツ庭におり
でした
けれど、「子らを待ち」が説明的すぎるかなぁーとか、「子ら」「花火」「バケツ」と登場人物が多すぎるなぁーというのもあって、まずバケツを削り、それから「子らを待ち」を「花火の待ちぼうけ」にしてなしにして、じゃぁ、どうして花火が待ちぼうけなのか書かないとなぁと
夕暮れの庭で花火は待ちぼうけ
にしてみて
けれど、これでは夜を待っているかんじかなぁと
あと、夕暮れから花火庭に出しっぱなしって危ないよねぇとか
それで

団欒に庭の花火は待ちぼうけ

になりました
が、もう一案

団欒の声に花火は待ちぼうけ

もあって

でも、理由の“に”が、声にくっついちゃうと声のためにっていうかんじが強くなって、何かその声に待ちぼうけさせるような意味がありそうになるかなぁとか、「団欒のために」っていう待ちぼうけの理由がわかりにくくなるなぁと止めにしました
「声」があった方が「団欒」が楽しげになるし、句に音も加わるし、いいかなぁとは思ったのだけれど
花火のいる場所もなくなっちゃうしね
声がない方だと「庭の花火」という「団欒の場所から離れている」という花火の居場所がわかるし、願わくば庭に漏れる居間の灯や声なんかも聴きつつ、待ちぼうけなかんじとかが「庭の」で感じられるといいなぁと
そういうわけで、最終的に

団欒に庭の花火は待ちぼうけ

になりました
地味に時間のかかった句でした