突如人気を集めた人や物が一転して叩かれるとか、人の不幸に対して「でも、不幸になるような原因の一端が本人にもあった」という意見が必ず出て来るとか、マスコミが、っていうより人間の感情がそういうふうになりがちだっていうことがあると思う
本に書いてあったのは「人は平等(この場合の平等は近代的な意識ではないらしい)だという無意識がそうさせる」というもの
人は平等だという無意識が揺らぐと不安になるので、+の物にはーを探してしまうとか
陰謀を求めてしまう心理も同じような働きをするのかなーとも思う
自分自身が不安定な状態にある時に、世の中の出来事に何でも理由を求めてしまうとか
あとは、自分自身を第三者、観察者、解説者の立場に置いくことで、不幸とか、それが誰にでも起こりうるという不安から遠ざかろうとするような
マスコミが人の心のえげつない部分を大きな声で言い放ち、それが天下の公論になることで、自分のえげつなさに正当性が与えられ、安心する
っていうことが、自分にも起こること、大きな事件じゃなくても、日常の些細な出来事の中で見つかるっていうことを思い出すようにしないとなぁって思う
同じ言葉を使っていても、それがどういう意図で用いられたものかはわからない
ハイクで読んだものについては、上のような意味合いではなく「自分たちに考えられることはないのか」という思いで書かれた物だとわかるので、自分にも何か出来ることはないのかなぁと考えていきたいなぁと思う
この内容だって、事件という具体的な事柄を抽象概念化することで、自分の住む世界、自分の感情から切り離そうとしているのだ、不安から無関係、高みの見物を決め込もうという姿勢の現れだというふうにも思うし
難しい
けど、忘れないようにと思って書いておきます、自分に
