id:a-cup-of-snow は
雪杯×すのう!のことを語る

あまりにも昔のことなので記憶もあやふやなのですが、「幕張」の“普通の子”叶親君への辛辣さって、今思うと目を見張るものがあるように思います。(気がする。何しろあまり覚えていないから。)
私見だけど、ギャグマンガって、優等生/普通の子/劣等生 のヒエラルキーを変な人・変な子が破壊すること、それで普通の子(読み手)がスッキリすることっていうのがスタンダードなのではないかと思うのです。「すすめ!パイレーツ」だって、犬井さんたちに迷惑を被っているのは一平君に見えますが、実際は 強いチーム/普通のチーム/弱いチーム っていう球界のヒエラルキーを犬井さんたちが引っ掻き回すことによって、弱小と虐げられているチームの中で頑張っている普通の子、一平君(読者)がすっきりするわけですね。
でも「幕張」って奈良こそ、一応“変人”ではあるけれど、塩田は“目端のきく子・ちょっと面白い子”なんですよ。で、叶親君は完全な“普通の子”なんですね。で、攻撃対象は優等生や強い子じゃなくて普通の子なんですね。それは「面白くないヤツはダメ」の構造だと思うんです。これは新しいヒエラルキーなのか、それとも上も下も見ることはなく、同じ層でやり合う構造ができたのか、わからないけど。
で、もう変人はそういう構造を超えられないんですね。奈良より塩田のほうが常に優位にいたものね。変人の異常性よりも、目端のきく賢さが優位になるのですね。
その当時から以降の少年マンガ、読んでいたわけではないので、他の作品でがどんな学園生活が描かれていたのかわかりませんが、結構シビアな社会構造を描いていたんじゃないかと思ったわけです。