『鹿男あをによし』万城目学
再読。いくつかの疑問について、ネタバレ。
・それで、顔の話。
・堀田が印を付けられる前に、プリクラで自分が鹿になっているのを見ていることから、使い番、運び番に任じられると(或いはその役目が発生すると)自然と鹿、狐、鼠の顔になっているのかな。ただ人間にはそれはわからない。あの印は、その役目の顔が見えるようになる呪い(?)だったのかも。
・でも、デジタル機器で撮影されると、その役目を負っている人間にも見えるようになる。印を付けられていないリチャードとマドンナには自分の顔は普通に見えていたんじゃないかな。リチャードはデジタル画像で初めて鼠顔の自分を見たようだし、マドンナがもらった集合写真は藤原先生のフィルム現像の写真だったし。
・印の呪いを解かないと一生鹿顔のままっていう問題は、疑問点が二つあって。「役目の顔は本来一生続くのか?(だから呪いを解かないと一生その顔を見て暮らすのか?)」と、「役目の顔は本来役目を果たすと元に戻るんだけど、それが戻らないという呪いもかかっているのか?」。
・前者であると、デジタル写真が普及する今後、リチャード、マドンナにもデジタル画像の中の自分は狐と鼠顔に見えてしまう。ならば「役目を終えたら元に戻る(役目のあるひと月だけあの顔になる)」じゃないと困るんだけど、神様が知ってか知らずか終わってみると必然性のある偶然を用意しているのだとすると、「役目の顔は本来一生もの。だけど、人間にはそれは見えない。ところがデジタル技術の発生で使い番、運び番には見えるようになってしまった。ということを眷属は知って、対応しなければいけない。という必然性から今回こういう騒動になったのだった。」のかなぁ?
