id:a-cup-of-snow は
雪杯×すのう!のことを語る

ぎろんと、わたし

自分が当事者ではない議論はしない。
自分の心が痛まない議論はしない。
サムシング・ファンのための議論はしない。

当事者には議論を経て得るものと失うものがある。何かを得るために議論に臨んでいるので、代わりに何かを失う覚悟がある。意見は対立していても、妥協や譲歩をしてでも結論を出そうというというゴールを共有している。
当事者ではない場合、議論の帰結として得るべきものがない。だから、何かを失う覚悟はできない。自分の完全勝利、相手の完全降伏のみが終結条件になる。それは自尊心の争いで、問題の解決にはならない。っていうか妨げになるんじゃなかろうか。

知的ゲームとしての議論は否定しないけど、ゲームであればフィールドとルールが合意されていなきゃいけないと思う。そして、総合格闘技としてではなくて、プロレス的な成立の仕方をしてほしいなぁ。プロレスラーは自分が一番の勝者となるために戦っているのではなくて、一番いい試合をするために戦っているのだと思うから。

結論、プロレスかよ!