『オレンジガール』の話
読んでいた時は、「なんじゃこのらのべ感は!」と思っていました。パパの空想家ぶりが凄まじく、ハッブル望遠鏡との繋ぎも強引で、それで死と命の連鎖を語るのは厨二病が過ぎるだろう…と。
でも、今日になって『完全なる首長竜の日』の“クオリア”を思い出して、なんとなく腑に落ちるところがあります。
以前人を亡くした時に感じたのが、“クオリア”(という名前は知らなかったけれど)というものが、その人が生きている時は確実にあるのに、その人が亡くなると確実に失われるもので、誰にも取り戻せないものだっていうことでした。『オレンジガール』のパパの過剰なまでの恋物語は、言葉では伝えられないものを伝えたかったのかなぁって思いました。
と思うと、言葉にできない心の動き、生まれて手に入れて死んで永遠に失う何かを、少年に一番伝えやすい恋物語で伝えるところとか、既に亡くなっているということでしか存在を示せないパパとか、あー、よくできてるんだなー…と。今さらしみじみ思っています。
雪杯×すのう!のことを語る
