id:a-cup-of-snow は
雪杯×すのう!のことを語る

で、今日でこぽんさんと微妙さんのハイクを見て、また「クオリア」のことを思い出しました。
それこそ、こういうのはとても詳しい方がいらっしゃることなので、書くのも恥ずかしいですが…。
「私が赤と感じているものは、他の人と全く同じ赤なのか」問題は、実は大問題なんですって。感覚器官を通して脳に伝えられたものが、最終的に脳でどのように経験されているのかっていうのは、未だ解明できていなくて、広い分野で議論が続けられているのだそうな。で、「言葉で説明できない」「それが正しいかどうか判断できない(誤りであるはずがない)」、何故なら「誰とも共有できない個人的な体験」だから、っていうのが「クオリア」の性質とされているそうです。

私は◯◯が好きだというのは、私が何かと出会った時の個人的な体験によってもたらされたもので、誰にもそれがいいとか悪いとか、80点とか45点とか評価されるものではないわけです。私が水瓶だとして、あるとき小石とであって、水面に波紋が立ったとして、それを美しいと感じたなら、それでいいわけです。私という水瓶がたとえ小さくても古くても安っぽくても。その小石を今でも水底に抱えていることで私が幸せなら、それでいいわけです。私という水瓶がたとえ欠けてても黴びてても庭の隅で朽ちかけていても。
っていうことを思ったのでした。

おしまい