ここへ、繋げよう。たぶん、そのほうがいい。
T氏から頂戴した同人誌をようやく、読んだ。
体調が万全のときに読みたかったのだけどそうもいかず、少なくとも今日は休みなので。
これを、わざわざ送ってきてくださった「理由」がわかった。
ほんとうに本当に素晴らしいテクストだからここに一部分だけでも書きうつすといいのだろうけどなんとなしに引用は憚られるので(著作権的に、というのでなく心理的に)、関連すると思われるじぶんの文章を引く。
この記事を、きっと読んでくださったんだと思う(ご笑覧くださいと恥ずかしげもなくはったのだよ、わたしw)。
「畏怖すべき存在に出遭ったさいの、身を竦ませるような感覚、それにとらわれていてずっと長らく言葉が出てこなかった、ていうことは書いておかないと、な、と。
怖かったんだな、と気づいて、それを認めて後は少し、楽になった。
じぶんのすぐそばに、何か途方もなく、「重いもの」がある、ていう感じ。
凄まじい重量がそばにあることの慄き、人類の営みとか文字を記すことの意味とか時の降り積もる様とでもいうのか、ともかく、じぶんの想像を絶する「何か」を携えた肉体が動いていることが不思議でたまらないような感覚、ていうのか。
その「重み」というのに圧し潰されているような感覚に襲われていたんだな、てこと。」http://florentine.hatenablog.com/entry/2013/12/07/215041
ひとことだけ、
聴覚視覚といったものについだ六番目の感覚として、「重覚」という言葉をつづってらっしゃる。
「重み」「重さ」ということについて。
「重み」ということについて延々と考えている。
http://florentine.hatenablog.com/entry/20110403/1301843628
(て、これ今投げたら、西崎さんにふぁヴぉされたよ、おおっ)
「夢のように、おりてくるもの」もタイトル落ちだけど、そもそものところ、「重覚」の話しだよなあ、と。
ちなみに、細々と、シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」(抄訳、文庫のほうね)も読んでいる(ていうのはもう、書いてあるか。あったな、うん、たしか。これ、なかなか読み進められないんだよ)。
ルネサンスというか新プラトン主義との関わりもあって、なのだが、文庫じゃなくて読むほうがこれはいいんじゃないかと訝っているせいもある。
わたしという書き手は、「夢」という本来なら重量のナイ、まさに「空想」「虚構」そのものと思われるものにまで「重み」を与えてしまったのだな、ということに気づいたので記しておく(気づいてなかったんですかと問われたら、うん、えっと、そういう意味ではそう、と素直にこたえるお馬鹿さんですw いや、表象とかしにふぃあんとしにふぃえみたいなことは十二分に意識したし、または具現具体という点は頭にいれてたけど、「重み」そのものについての洞察、というのはたぶん、そこまで意識してなかったようにおもうのだ。魘が重い、といったことや「魅力」としての作用といったことどもは別にして、つまりそれは「重力」だというふうにしっかりと書き手として認識できていたかどうかはかなりのところアヤシイ、つまり、くりかえすがやはりお馬鹿さんなのだ)。
この伴走メモ、
一体いつまで続くのだと首を傾げながらw
