それでわたしが何を「文学」とよぶのかというと、
ヤスミナ・カドラの扱うテーマなら(テロやイスラーム)、ジュネの『恋する虜』を
『サラの鍵』(ホロコースト、ショアー)なら、ダニロ・キシュの『砂時計』あたりか
恋する虜も砂時計も、たぶん、たぶんだけど、ふだんからよほど小説を読みなれてないと、「なんだかよくわからない、むずかしい」ってだけで終わってしまう可能性がある
ある、ん、だけど
でも、
ああいうふうにじゃないと書けないこと、描けないこと、ていうのがこの世には絶対にあるんだよ
なんでもかんたんに言えとか、あたまいいひとほどわかりやすくはなすとかいう、チャラい言説にぶちあたってキレたときは、彼らのような素晴らしい文学者を思い出すことにしている
いまは21世紀だ
ヴァージニア・ウルフやプルーストやジョイスの時代からずいぶん経った
ボルヘスが死んでからだってずいぶんたったはずなのに
まあ、いいや
べつにわたし物語が嫌いなわけじゃないし、じつは大好きなわけで(大好きだよ、ちょーぜつ愛してるよ!!!)
小説と物語を分離させるのは、わたしの実力では不可能だし、べつにそんな、いわゆる文学の実験的なことしたい(とおもったことはあるけど!)わけではないのでな
