わたしが小説をかくこと、て、
若桑先生が全人類史すべてわからないと一枚の絵さえわからない(いつもどおり、不正確な引用ですよw)ていう、あれと同じような感じ、なんだよね
ひとりの登場人物をかくにもひとつのシーンを描写するにも、ておきかえられるというか
ワカルというといかにもイコノロジー的にすぎるというのなら(そういう反省はある、すでに)、相対することすらおぼつかない、くらいでもいいかな
「愛することさえかなわない」ていうか
若桑先生というと、わたしにとっての運命の本は『薔薇のイコノロジー』で、
あれはほんとに衝撃だった
まだゼミに入る前だったし
ちょくせつならったことはないんですが、お会いしたことも、
でも、「先生」とおよびしたいのね
そうだ、
じぶんのもってる知識の棚卸もしないといけないのだった
その後、弱いところ、抜けてるところをどうにか埋める作業も
「作品」にはすべて出ちゃうから
弱点を弱点として曝す勇気とはべつに、
みっともないものをお見せしない、ていう気骨は欲しいのだよ
瑕瑾があると、作品の寿命や短く強度も弱まるから
多くのひとに届きやすい物語を颯爽と紡ぐ速度、反射神経、要領のよさ、そういうかっこよさはわたしにはない
ないものは、ないw
ないので、
それは意識するけど(カルヴィーノ様も軽さと速度についてはいってるしね)、
じぶんの道をいくよ、大変でも、ハードル高くても
